スポンサーサイト

--.--.--.--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昭和天皇に唾した、松岡洋右の三国同盟と日ソ中立締結

2014.05.22.13:18

 昭和天皇が、日独伊三国同盟に絶対反対であられたことは、かなり多くの史料に記録されている。だから、ここでは省略する。だが、松岡洋右が、昭和天皇のこのご聖旨を熟知しながら、いったん消えていた三国同盟を灰の中から突然掘り起こして燃え上がらせ一気に締結した行動を、昭和天皇との関係で再研究することは疎かにできない。

 松岡洋右は、表向き皇居遥拝など大仰しく「右翼」を演じたが、それは自分の反・天皇イデオロギーを隠蔽するためだったのではないか。松岡は、天皇制度の廃止をも、思考の範囲に潜めていたと考えられる。



スポンサーサイト

粗暴なアクション俳優でしかない、自己破滅願望の嘘吐き・松岡洋右

2014.05.18.13:05

 松岡洋右がパール・ハーバー奇襲の一九四一年十二月八日、「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だった。…」(注2)と涙ながらに語ったとは有名で、多くの研究書にも引用される。が、これ、松岡の片腕だった斉藤良衛の著『欺かれた歴史 松岡と三国同盟の裏面』(一九五五年、読売新聞社)が出典である。

 このエピソードは、生涯をデマゴーグ無頼漢だった“嘘吐き松岡”と同様、人格低劣で虚言癖の斉藤良衛がでっち上げた真赤な創り話。斉藤は、戦後、悪評が定着した松岡洋右を美化するため、嘘宣伝(プロパガンダ)本として『欺かれた歴史』を書いた。目次を見るだけでも『欺かれた歴史』の嘘八百は透け透け。第二章のタイトル「松岡の親米、反独主義」、第三章のは「松岡は平和主義」とは、冗談も度がすぎよう。日露戦争以降の日本の外交官には、明治時代とは異なり、松岡や斉藤のような無頼漢が突然増殖した。

第一次大戦後、戦争狂に走った日本外交

2014.05.02.09:50

 第一次世界大戦が一九一八年十一月に終わり平和が到来したとき、第二次世界大戦の芽が大きく芽吹いていた。平和とは、戦争と戦争の合間に訪れる息継ぎのようなもの。だから、この平和の期間を永くすることが外交や国際政治の要諦である。

 第一次世界大戦後に、永続する平和を最も正しく模索できたのは、英国のウィンストン・チャーチルであろう。英国の地政学者マッキンダー博士はこれに次ごう。「第一次世界大戦がもたらしたヨーロッパの平和は二十年の息継ぎで終わる」と喝破したのは、フィンランドのマンネルハイム元帥であった。

 “国際政治の天才”チャーチルは、①平和維持能力があるかの幻想を振りまく国際連盟と②各国のパワーバランスの努力を否定する条約で締結される軍縮が、ヨーロッパの安定と平和に対して癌的な阻害要因となると獅子吼した。また、③共産主義・社会主義イデオロギーがこれからの世界平和の主敵になると世界に向けて警告を発した。世界情勢が透けて見えるチャーチルにとって、「バランス・オブ・パワーのみが平和機能をもつこと」、および「<社会主義イデオロギー=戦争のドグマ>こそ真理」という、二つの国際政治の原理原則は、論じる前に自明だった。

天皇制度廃止の信条を巧みに隠す大川周明

2014.05.01.09:22

 大川周明が心底では天皇制廃止が信条であるのに、戦後に発表された大川周明論の多くの著作はどれもこれも、この重要事実を等閑視するか歪曲する。大川周明は、自らの天皇制廃止の信条を秘匿すべく、さも“天皇主義”であるかの偽装として、『日本および日本人の道』『日本二千六百年史』などの著作を出版した。だが、この両書には天皇制廃止の“麻薬”が仕込まれており、戦後の共産党の「天皇制廃止」出版物の先駆とも言える。

 さも天皇・皇室尊崇をしているかに世間を誤解させる大川的演技は、大逆事件での幸徳秋水の死刑と治安維持法が存在することにおいて、戦前日本の知識人において、ごく普遍的な言動だった。平泉澄の「皇国史観」は、この種の演技の中では、最も高水準な転倒擬装の妙技だったといえよう(注14)。日本国の廃墟に究極の美を観想すべく大東亜戦争讃美/推進論を展開したプレ・ポストモダン文学者・保田與重郎の天皇讃歌も、ヘルダーリン分裂症型の転倒表現で、広義には大川周明や平泉澄と同じ「演技」に分類してよい。

 尚、これは戦後なので、大川/平泉/保田とは一緒に括れないが、共産党を離党してアナーキストに転向した『大東亜戦争肯定論』(一九六五年)の林房雄も、天皇制廃止を信条とし、同じ手口を使っている。林房雄の『神武天皇実在論』(一九七一年、光文社)は、自分の信条を隠して虚像をデッチアゲるための擬装用出版物だったろう。はるか昔の歴史の話で煙に巻き自分の逆イメージを創るのは、大川周明でなくとも、世界共通の革命家の常套手段である。蛇足だが、『大東亜戦争肯定論』は、(朝鮮戦争に勝利できず落ち込む)金日成・主席を慰撫する献上本として、朝鮮総連が(高額の執筆料を渡して)林房雄に書かせたのが真相のようだ。

昭和の暴力革命すべてに参加した大川周明

2014.04.30.09:12

 一九三二年の「五・一五事件」で、犬養毅首相を殺害した拳銃は、大川周明が赤いテロリスト将校に渡したもの。この殺人で、大川周明の共同正犯は明白。決行一ヶ月前の四月三日、大川は、古賀清志・海軍中尉に現金千五百円と拳銃五挺・実弾一二五発を渡した。現金はさらに四千五百円を追加し古賀に渡した(注3)。

 この拳銃が、犬養毅を射殺した、海軍中尉・三上卓の一発と黒岩勇(予備役海軍少尉)の一発となったようだ。首謀者の古賀と三上/黒岩/大川周明の四名は、現役首相の殺害である以上、死刑が相当だが、それぞれ禁固十五年/禁固十五年/禁固十三年/禁固五年の余りに軽いものであった。

 大川周明は、「五・一五事件」では、国会を包囲する一万人の大衆動員を担当することになっていた。一九六〇年の日米同盟廃棄の暴動における、天性のアジテーターで知識人の清水幾太郎(共産党員)と同じ役割である。

 「五・一五事件」は、前大蔵大臣・井上準之助と三井財閥の團琢磨を射殺した血盟団事件(一九三二年二月&三月)の延長上のもので、両者のテロリストには、古賀や海軍中尉・中村義雄などほとんど重なり合っている。

プロフィール

ハヤシゴハン

Author:ハヤシゴハン
保守主義の勉強をしています。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
中川八洋原典回帰
中川八洋掲示板
ブログ主の愛用品














検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。