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昭和の暴力革命すべてに参加した大川周明

2014.04.30.09:12

 一九三二年の「五・一五事件」で、犬養毅首相を殺害した拳銃は、大川周明が赤いテロリスト将校に渡したもの。この殺人で、大川周明の共同正犯は明白。決行一ヶ月前の四月三日、大川は、古賀清志・海軍中尉に現金千五百円と拳銃五挺・実弾一二五発を渡した。現金はさらに四千五百円を追加し古賀に渡した(注3)。

 この拳銃が、犬養毅を射殺した、海軍中尉・三上卓の一発と黒岩勇(予備役海軍少尉)の一発となったようだ。首謀者の古賀と三上/黒岩/大川周明の四名は、現役首相の殺害である以上、死刑が相当だが、それぞれ禁固十五年/禁固十五年/禁固十三年/禁固五年の余りに軽いものであった。

 大川周明は、「五・一五事件」では、国会を包囲する一万人の大衆動員を担当することになっていた。一九六〇年の日米同盟廃棄の暴動における、天性のアジテーターで知識人の清水幾太郎(共産党員)と同じ役割である。

 「五・一五事件」は、前大蔵大臣・井上準之助と三井財閥の團琢磨を射殺した血盟団事件(一九三二年二月&三月)の延長上のもので、両者のテロリストには、古賀や海軍中尉・中村義雄などほとんど重なり合っている。

 これより一年前の一九三一年には、後の二・二六事件(一九三六年)の予行演習といえる、帝国陸軍のクーデタ事件が実行直前にまでなった。「三月事件」と「十月事件」である。テロリズムを兼ねた陸軍クーデタ計画の「三月事件」「十月事件」は、「五・一五事件」のような若い海軍の尉官や士官候補生クラスによるものではなかった。「三月事件」で言えば、陸軍の少佐・中佐以上で、将軍すら多々参加した。陸軍大将の宇垣陸軍大臣を頂点とする陸軍中枢が主力だった。

 「十月事件」は、満洲を帝国陸軍(関東軍)の支配下(一党独裁型政治)におく満洲事変の勃発(一九三一年九月十八日、柳条湖事件)に便乗し、むしろこれを模倣して、日本本土も帝国陸軍の「一党独裁」体制下におく全体主義国家づくりを目指したものだった。「十月事件」の五年後に実行された「二・二六事件」は、“東京版満洲事変”というべき“満洲事変のコピー”であった。

 「十月事件」の首謀者は、「桜会」の橋本欣五郎・陸軍中佐。陸軍を社会主義独裁党として、日本を国家社会主義体制に革命する(=「昭和維新」の本当の意味)のを狙ったクーデター。「十月事件」が成功したときの組閣構想は、総理は荒木貞夫・陸軍中将、大蔵大臣は大川周明、内務大臣には橋本欣五郎、外務大臣は建川美次・陸軍少将、警視総監は長勇・陸軍少佐、海軍大臣は小林省三郎・陸軍少将、・・・(注3)。この陸軍クーデターには、大本教教祖・出口王仁三郎(信者四十万人、注4)も加わっていた。

 なお、「満洲事変」とは、その国際政治の側面にいったん目を瞑れば、皇帝溥儀を傀儡として、陸軍(「関東軍」)が行政のすべてを握る独裁党になる政治体制の創建であった。つまり、三権分立を否定し、独立の国会も裁判所もない、行政が立法と司法のすべてを代行する“無憲法下の一党独裁体制”を満洲の地に創ったのである。

 満洲における日本陸軍は、実態では「社会主義独裁党」だった。統制経済を執行する経済官僚機構も兼務して満州国の経済発展を担う権限まで、この在満の日本陸軍は自分に附与したのである。

幸徳秋水への信仰から始まった、“極左革命家”大川周明の思想本籍

 旧制中学時代から『社会主義神髄』を愛読し『週間平民新聞』の購読者であった大川周明は、幸徳秋水直系のアナーキズム社会主義者として、その極左革命家の人生を開始した。明治天皇暗殺を計画した“大逆事件の首謀者”幸徳秋水の思想が主として「ルソー/マルクス/クロポトキン」で形成されたのに似て、十代の若き大川周明の思想も「幸徳秋水/ルソー/マルクス/レーニン」で形成された。大川は、こう述懐する。

 「社会制度の根本的改造を必要とし、実にマルクスを仰いでわが師とした」(注5)。
「カール・マルクスによりて唱導せられたる一大真理、ダーウィンが自然界に向ひてなせる発見を、人類社会に向つてなせりと称せらるる所のものなり。…悪しき実を結ぶ巨木を倒すことをせずや。革命の斧を揮ふてわれらとともに一打をその根に加ふることをせずや」(注6)。



  ルソー教徒でもあった大川周明は、全体主義体制の独裁者はどうあるべきかを人類史上初めて論じた、“近代全体主義の祖”ルソーの『エミール』を、アカギ書房から翻訳出版した。一九一四年。

 日本の現代史では、「左翼」と言えばコミンテルン系の共産党や河上肇らの共産党員を指し、「三月事件/十月事件/血盟団事件/五・一五事件/二・二六事件」のイデオローグや実行者の方は「右翼」とか「ファッシスト」あるいは「国家主義者」として、まったく別に分類する。後者をムソリーニやヒトラーを指す用語である「ファッシスト」と分類するのは間違いとはいえないが、「右翼」「国家主義」とするのは、無知にすぎるし、明らに作為の虚偽語である。

 ヒトラー等の「ファッシズム」とは、レーニンの母胎から生まれた畸形児の左翼思想で、マルクス・レーニン主義(=共産主義)の亜種。当然、「ファッシズム」は、極左思想の中の極左思想。スターリンの共産主義の方を“超ファッシズム”と改名すれば、「ファッシズム」が正しく理解され客観的な用語となる。

 また、スターリンのソ連であれ、金日成の北朝鮮であれ、共産主義体制は皆、「国家主義」である。大川周明や北一輝らを「民族主義者(ナショナリスト)」とするなら少しはましだが、「国家主義者」と分類するなら、同じ「国家主義」の日本共産党との差異がなくなる。

 共産党との差異や相違を明らかにするために「国家主義」を造語したのに、逆に自家撞着し言葉のナンセンス性をひどくしている。「国家主義」は、全体主義というニュアンスが強い用語だから、この原義どおりに用いれば、スターリンと大川周明の間には差異が存在しない。

 要するに、スターリンの体制であれ、ヒトラーの体制であれ、大川周明や北一輝らの五・一五事件/二・二六事件の赤い将校団の革命であれ、それらは過激な暴力社会主義革命の体制を目ざしたことで、基本性格は根本で同一。いずれも、“極左”。反・社会主義のイデオロギーを自由主義とか保守主義というが、これを「右」というなら、多少は間違いとはいえない。

 大川周明らの、“極左”暴力社会主義革命のドグマにつき、あえて共産党との相違をズーム・アップしたいならば、ナショナリズム(民族主義)とりわけ「天皇」を持ち出すことに着目すべきだろう。「天皇」とか「民族」とかを糖衣/白ペンキとして塗りたくる擬装をするかしないか、これが共産党との顕著な相違ではないか。

 大川周明らの社会主義と河上肇らの(日本共産党系)社会主義との間には、虚構の天皇崇拝で偽装するか、正直・露骨に天皇排撃をするかの違いが、確かに存在する。しかし、前者のメッキをはがせば、後者と同一の金属がむき出しに出てきて同一となる。

 一九二五年以降は治安維持法が適用され検挙されるのを回避すべく、平野義太郎のように共産主義者のほとんどは、「天皇陛下万歳!」で自分たちの天皇制度廃止の革命真意を隠すのが一般的となった。“天皇制度廃絶の権化”なのに、「天皇」や「国体」でその逆に擬装する、日本革命家に独特のこの行動は、大川周明らアナーキストの間では昔からやっていた。が一九三〇年以降、共産党も遅まきながら真似するようになった。

 敗戦が近づく一九四五年一月に昭和天皇に上奏された「近衛上奏文」は、吉田茂が代筆したものだが、「右翼=左翼/共産主義者」と見事な正しい定義がなされている。さすが、保守主義の吉田茂である。

 「軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く一部官僚もしくは民間有志(これを右翼といふも可、左翼といふも可なり。いわゆる右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵しおり…」(注7)。



  五・一五事件後の、一九三三年版の内務省警保局(現在の警察庁)の分析は、一九四五年の吉田茂ほど明確ではない。個々の団体の調査は精緻だし、コミンテルン系共産主義との相違と類似と重畳などをさまざまに考察したのも立派だが、堂々巡りに終始してしまった感がある(注8)。

 共産主義勢力に対する対置が自由主義勢力とみなして、民族色の社会主義革命勢力とコミンテルン系社会主義革命勢力とが同根であることにもっと着目すべきであったろう。例えば、「五・一五事件」の檄文を重視していれば、「農民よ 労働者よ」とあるように、「五・一五事件」は、レーニンやトロツキーの共産革命そのもので変わる所はなかった。日本共産党との差異などいっさい無かった。

 内務省(警察)は、赤い革新将校とそのイデオローグたちが根本においては過激な共産主義者だった事実において、共産党と同一に括る知力をもつべきであった。マルクス・レーニン主義の研究が少し貧弱だし、これらと対極的な英米系保守主義の知見がゼロだったことが、相対化の比較研究に失敗した主原因であろうか。

 また、大川周明や北一輝らの行動(actions)の分析に当っては、出版物など書いた活字(words、言葉)などは、擬装用白ペンキだし、警察その他を眼晦ます妨害電波のようなもの。内務省(警察)の調査は、彼らの行動により主力と精力を注ぐべきではなかったか。「五・一五事件」の檄文は、以下の通り。

 「国民よ!国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!奸賊、特権階級を抹殺せよ!」
「農民よ、労働者よ、全国民よ!」
「民衆よ!この(「共産国・日本」の)建設を念願しつつまづ破壊だ!すべての現存する醜悪な制度をぶち壊せ!」(注9、カッコ内中川)。



レーニン崇拝で同志となった大川周明と“日本のソ連工作員第一号”後藤新平

 話を戻す。大川周明の異常なレーニン崇拝は、“日本一のレーニン狂徒”後藤新平との結びつきにも表れている。実際にも大川は、レーニン崇拝を隠すことはなかった。日本だけでなく世界中がソ連を国家承認せず、打倒して、旧ロシア帝国を再興しようとしている一九二二年の時点で、大川はこう述べている。

「僕は(一九一七年の)当初からレーニン政府承認論者であり、日露通商主張者である」(注10、カッコ内中川)。



  一九三〇年出版の『日本的言行』で大川は、間違いだらけなどぶっ飛んでしまうほど異様極めたレーニン称讃をしている。「(レーニン主義は)ヨーロッパ精神の権化」とか「(国民を殺戮の恐怖下で支配する共産党独裁体制は)機械的・自働的に人類に福祉を生み出す組織」とは、いやはや恐れ入る。これほどまでの極端なレーニン信仰は、日本共産党員と何ら変わらない。いや、共産党員以上。

 

「レーニンは、ヨーロッパ精神の権化である点において、大いに学ぶべきところがある。ギリシャ思想とキリスト教とに養われ、さらに近世科学によつて鍛えられたるヨーロッパ精神は…」
「理性と科学との力を恃み、経済組織の革命によつて共同生活の福祉を実現とする社会主義の唱導となり、…レーニンは、その魂の全力を挙げて、外面的制度の確立、機械的・自働的なる人類の福祉を生み出すべき組織の実現に傾倒した」(注11)。



 だから大川周明は、マルクス・レーニン主義に従い、「ブルジョアジーを打倒して、プロレタリア支配の国に革命せよ!」と、公然とプロレタリア革命を唱導した。一九二七年に発表した論考「維新日本の建設」は、まさにこの一つ。

 大川流“騙しの詐語”「維新日本」が「共産主義社会に革命された日本」という意味だったことは、この論考「維新日本の建設」が明らかにしている。つまり、大川が参画した軍部クーデター「三月事件」「十月事件」「五・一五事件」とは、一九一七年のレーニンのロシア革命を日本に再現すべく、武力をもつ軍を抱き込んで日本の共産化社会を指向する暴力革命だった。

「来るべき(明治維新に次ぐ共産革命の)第二維新においては、倒さるべきものは黄金を中心勢力とする閥(ブルジョアジー階級)であり、興さるべき者は貧苦に悩む多数の国民(プロレタリア階級)である。すなわち第一維新の標語が<尊王倒幕>なりしに対し、第二維新の標語は正しく<興民討閥(プロレタリア支配の共産社会づくりのため、日本からブルジョアジーを打倒せよ!)>でなければならぬ」(注12.カッコ内中川)。



 一九一七年のレーニンのロシア革命に共鳴・共振する、コミュニストでソ連工作員の後藤新平は、一九二〇年から東京市長であった。ロシア革命で“世界の孤児”となったソ連を助けるため、後藤は、国家として日本政府が承認するよう日本政府への圧力をかけるべく、“ソ連の対アジア外交の天才”ヨッフェの来日を画策。後藤の招聘という形でついにヨッフェは来日した(一九二三年一月)。一九二五年の日ソ基本条約は、後藤の暗躍がなければ締結されていない。米国のソ連承認は一九三三年で、これが正しい対ソ外交。

 日本の共産化を密かに祈願する後藤新平は、二度の脳溢血で倒れながら、スターリン会いたさに、一九二七年十二月〜翌二八年二月、厳寒のモスクワを訪れた。この無理がたたって一年後に死去するが、後藤はスターリンに会えるなら死んでも良いと公言しており前代未聞の狂信的な親ソだった。それは、「反・英米」の裏返しであった。英米を排して日露支の三国が主導する東アジアを夢見、結果としては日本がロシアの属国になることを、後藤新平は理想だと考えていた。後藤は日本の対ソ売国奴第一号で、第二号が近衛文麿である。

 後藤新平はこのような極端なレーニン崇拝者で無批判のソ連万歳主義者だったため、同じ考えの大川周明と意気投合した。一九二〇年四月、後藤新平が拓殖大学学長として大川周明を教授に採用したのは、この理由である。

 アジアはソ連(共産ロシア)と同盟し、(英米など)ヨーロッパの市場経済諸国をアジアから追放すべしと煽動する『復興亜細亜の諸問題』を大川が出版したのは、拓大教授になって二年後の一九二二年。対日工作のためのヨッフェ来日の一年前。大川はこう書いている。

「ボルシェヴィキ(ソ連)とアジアとが、全然相一致することは言うまでもない。共通の敵たる西欧列強と戦うことにおいて、両者(アジアとソ連)が握手することに何の不可思議もない」(注13)。




中川八洋筑波大学名誉教授の論文“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅷ)を、中川文体の入門者用に易しくしてみました。
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2017.03.20.11:56

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