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粗暴なアクション俳優でしかない、自己破滅願望の嘘吐き・松岡洋右

2014.05.18.13:05

 松岡洋右がパール・ハーバー奇襲の一九四一年十二月八日、「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だった。…」(注2)と涙ながらに語ったとは有名で、多くの研究書にも引用される。が、これ、松岡の片腕だった斉藤良衛の著『欺かれた歴史 松岡と三国同盟の裏面』(一九五五年、読売新聞社)が出典である。

 このエピソードは、生涯をデマゴーグ無頼漢だった“嘘吐き松岡”と同様、人格低劣で虚言癖の斉藤良衛がでっち上げた真赤な創り話。斉藤は、戦後、悪評が定着した松岡洋右を美化するため、嘘宣伝(プロパガンダ)本として『欺かれた歴史』を書いた。目次を見るだけでも『欺かれた歴史』の嘘八百は透け透け。第二章のタイトル「松岡の親米、反独主義」、第三章のは「松岡は平和主義」とは、冗談も度がすぎよう。日露戦争以降の日本の外交官には、明治時代とは異なり、松岡や斉藤のような無頼漢が突然増殖した。

 話を戻す。パール・ハーバー奇襲成功の報を聞くや、実際の松岡洋右は、斉藤の創作話とは逆に、小躍りしてはしゃいだようだ。四日後(十二月十二日付け)の頭山満宛書簡には「これで、日本も神国らしい姿を顕出…した。これで本当に天賦の大使命遂行にたゆる様に…」(注3)とある。この方が真実だろう。

 松岡の後輩に当たる重光葵は、斉藤とは異なって、事実に忠実な記録的回想を旨とし、論評部分も丁寧慎重だから、その著『昭和の動乱』(一九五二年)は信用できる。

(南部仏印へ進駐した直後の一九四一年七月二十九日?)、松岡は記者(筆者、重光)への私的な会話で「<(これからの日本には)南にも北にもおそらく火がつく(戦争になる)であらう。日本はかやうにして一旦奈落の底に落ちて、しかるのちでなければ国民的自覚の上に浮かび上がることはできぬ…>と結んだ」

「記者(重光)は…その自暴自棄的な言葉は狂気の沙汰ではないかとすら思つた」(注4、丸カッコ内中川)。
 後先を考えず、その場その場で大向こうを張ったアクション演技で、一国の外交を歌舞伎舞台に貶めたのは、松岡洋右がヒトラー同様、“後は野となれ山となれ”と、日本国の自己破壊を快楽夢想していたからだろう。松岡の悪魔性あらわな言葉「一旦奈落の底に落ちて=日本が破壊尽くされて」こそ彼の本心。

 また、松岡洋右は、日本を焦土とし日本国民を殺し尽す「一億玉砕」の、阿南惟幾・陸軍大臣らの昭和天皇監禁(暗殺を含む)を計画した宮城クーデター(八月十四日)の一味に加わった可能性が高い。阿南の片腕である荒尾興功(陸軍省軍務課長、ソ連GRU工作員、コミュニスト)から上京を打診された翌日の八月十一日、逗留中の伊豆の古奈温泉にいたのに、即座に上京している。

 前月の七月、昭和天皇を守るのではなく、“殺害やむなし”を示唆する言葉を(注5)、参謀総長・梅津美治郎(コミュニスト)の使者に吐き、これは阿南・荒尾らにも伝わっていただろう。日本国の焦土と廃滅、さらに天皇制度廃止、これらが松岡洋右の心底に蠢く真の信条だと考えた方が歴史事実と符合する。

移民労働者あがりの松岡洋右、エリート留学生の小村寿太郎──祖国に害をなす外務大臣と益をもたらす外務大臣の、対極的な教育環境

 松岡洋右を異才と見るか異様と観るかは、見る側に愛国心が無いか有るかに拠る。この客観化のため、大秀才の外務大臣だった小村寿太郎と松岡を比較する。

 小村寿太郎は、日英同盟条約を締結した立役者であり、日本国を守るべく対ロ戦争を唱導し対ロ戦争が始るや戦勝後の講和の準備をなし、ポーツマス条約を締結したその首席全権でもあった。また、韓国併合に反対するなど、外務大臣として日本国の国益を完全に把握していたように、非の打ちどころない外交官だった。

 一方、松岡洋右は、世論受けを狙って国際聯盟を脱退し、日本を世界の孤児に追い込み、さらには対英米戦争が不可避となる日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結するなど、その外交はすべて当初から日本国の破滅を狙う異常なものだった。

 両名とも外交官・外務大臣という職業と職務を同じくしながら、祖国日本へプラスとマイナスという極端な相違をもたらした原因は何か。小村寿太郎は、「東大(大学南校)→ハーバード大学ロースクール卒」で、世論に背を向け名声を求めないエリート官僚の人生。ひたすら、国家のため自己を捧げるストイックな「武士」として生きた。
(備考)明治時代をほぼ通じ、日本には“大学”は東大しかなかった。日清戦争を終えて、京都大(一八九七年創立)など他の帝国大学が順次つくられたが(七帝大時代)、戦前、東大を「大学」、他を「帝大」と言う一部習慣はこの名残。

 一方、松岡はアメリカで一旗あげたく十三歳で渡米して、一種の移民労働者をしながら“ど田舎のオレゴン大学”夜間部を卒業した(「夜間の短大」相当。卒業時二十歳)。まさしく、ひたすら個人的な野望と功名心に生きた成り上がり。世界のどこででも野垂れ死を覚悟する無頼漢となったのは、少年期のこの異常な体験と無縁ではない。

 当然、“ポピュリスト政治家”を本業とする松岡洋右にとって、国家よりも自分だけが大事。絶えず世論の喝采を浴びる世論迎合の卑しさも、異国での移民労働者という体験から形成された。松岡は、米国を「第二の祖国」と考えたことも日本を「第一の祖国」と考えたこともないディアスポラ(地球放浪者)だから、ヒトラーに“ドイツ国民の意識”がなかったように、“日本人としての意識”が全く空洞化していた。

中川八洋筑波大学名誉教授の論文祖国憎悪なくして、“祖国破壊の無頼”松岡洋右に心酔できるか──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅹを、中川文体の入門者用に易しくしてみました。
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